クリームソーダ浴びたい

インターネットに恩返し

雨宮まみさん

雨宮さんに救われていたと思っていたことは、雨宮さんが代わりに抱えてくれていたことなのかもしれないと思った。

何もかもが虚しくなって、誰にもそれが言えず、どこにもそれを書けず、つぶされそうになる夜には、「まじめに生きるって損ですか?」を開き、雨宮さんの言葉を噛み締めながら泣いていた。

いつも雨宮さんは、ただ寄り添って、ただ受け入れてくれていた。 優しい言葉をかけてくれるその裏には、雨宮さんの苦労や、苦悩や、でも受け入れて自分が納得できるように生きていこうとする姿があり、そういったエッセイやコラムを読み続けているからこそ、著書の言葉に救われていた。

訃報を見てすぐ会社でもひどく泣いてしまったし、帰ってきてからは声をあげて泣いた。 もう自分が救いを求められる存在がいなくなったこと、こうありたいと思う存在がいないこと、(死因はわからないけど)すがった人ですら、生き続けられない世の中だったこと、全てが悲しかった。

それから、雨宮さんに今まで助けてもらったことすべてを思い出し、悲しくなって泣いた。 雨宮さんが解消してくれたのではなくて、雨宮さんに預けていただけで、その雨宮さんがこの世からいなくなったと知った瞬間にそれがすべて返ってきたように感じた。

何の疑いもなく、これからもずっと道を示してくれて、優しい言葉に救われていくのだと思っていた。

会ったことのない他人が亡くなって、こんなに泣くことがあるんだと知った。

卑屈にならずに、卑下せずに、自分の人生に向き合って楽しんでいこうとする姿をたくさん見せてもらった。それを押し付けるわけではないところも好きだった。 ついつい苦しい方へ頭を働かせてしまうとき、正論を言うわけでもなく、ただ同調するだけでもなく、救われるような言葉をたくさん書いてくれていて、それをいつも読み返した。

雨宮さんありがとうございました。

雨宮さんだったら何て言うんだろうと想像できるくらいに、たくさんの言葉を残してもらっている。40歳になるまでは、なぞっていける。